【君はどうありたい?】“キワモノ会議”に参加してわかったこと

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こんにちは、さいきん奈良に引っ越した松本です。
先日【キワモノ会議】なるヘンテコな名前の会に参加してきました。

13:00スタート
翌15:30終了
睡眠時間、約30分ほどw
という鬼畜なタイムスケジュール。笑

その会で、自分では気づいていなかったけど本当はそう思っていたんだな
ということに気づけたので、すこし書き記したいとおもいます。

 

そもそもキワモノ会議とはなんぞや

IMG_3588*キワモノ島こと、広島県・大崎上島。遠かった…

ザックリいうと、
世の中の常識普通に生きづらさを感じているひとが集まることで、
意外と認めてくれるひとっているんだ、ちゃんと生きてていいんだ、
ということを理解できる場所。
だとおもいます(違ってたらゴメン)。

キワモノ会議というぐらいなので、
ものすごい変なひとたちが集まるのかと思っていたけれど
意外とぶっ飛んでるひとは少なくて、みなさんぱっと見フツウだった。
中にはヤバそうな方(良い意味で)もいらっしゃったが。笑

場所は広島県・大崎上島。
元は兵庫の丹波でされていたのですが、今回はなぜか広島の孤島で。

 

アイスブレイク、そしてグループセッションへ

IMG_3590*オモチャのレゴでアイスブレイク(緊張をとくこと)

グループに分かれ、レゴで遊ぶのではなく
レゴをつかって1分で自分を作ってください、とか
2分で今までで一番怒ったこと(楽しかったこと)を作ってください、とか。

時間がないぶん考えるヒマがないうえに
なぜそうなったのかの説明までしないといけなかったので
ちょっとむずかしかったけど、人それぞれ感性というか
心の奥の部分をかいま見れたような気がした。
(ちなみにこれは”レゴシリアスプレイ”というらしい)

 

なぜこのグループだったのか

知り合いがいないように、ぐらいしか考慮されていないらしいのだが
あえてそこに理由があると考え、思考するという練習。

ネイティブアメリカンの教えらしいのだが、
これをすることで普段なにげなく生きてきた、感じてきたものに
“意味”をかんがえるようになる、らしい。

ちなみにうちのグループはスーパー分析型人間が集まっていた。
そして心の奥にどこか闇をかかえて生きている。
それがゆえに、心優しいひとが集まった。

理由なきものに理由をもとめる。
生きる上でとても大事なかんがえなんじゃないかな。

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本当はどうありたいのか、どうしたいのか

ほかにもグループワークはあったのだけれど、少しはぶきます。

それぞれが各1時間ほど話しつづける(1グループ5人ほど)という
過酷なワーク。
ちなみにわたしは2時間はなした。長くてすいません。

何を話すか迷ったのだが、全部はなした。

過去になにがあったのか
なにがあってこういう思考になったのか
自分のキャラクターはどうして生まれたのか
なにをやってきたのか
なにが自分にできるのか

などなど、パンツを脱ぐと表現していたのだが
あらいざらい話して、背景をしってもらう。
そのうえで話をしないと、本当の意味で理解はできない。

その想いで昔はちょくちょくSNSなどで過去の話をして
勘違いされて嫌われたり、罵倒されたり、という経験もあるのだが
このメンバーならちゃんと理解してくれるだろう、と信じて話した。

わたしは過去にはこだわらない。
イジメられていようが、DVをうけていようが、
今がちがうならイジメっ子や親にはなにも思わない。
そこを勘違いされていたときは少し悲しかったな。

話がそれましたね。

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ひと通り話し終えると、質問タイムがはじまります。

ひたすら質問攻めにされます。
なぜそう思ったのか、なぜ心に壁をつくってしまうようになったのか。
その原体験をさぐる対話。

かなりしんどい。
触れられたくない過去。
思い出したくもない思い出。
そこをねほりはほり聞かれる。

だがそれは必要な苦しみ。
そうすることによって、他者が理解し、客観的にじぶんを見てくれる。

それを続けると、自分では気づかなかった想いがみえてくる。

“どうありたいのか”
“どうしたいのか”

わたしの場合は、じぶんに興味がなさすぎた。
じぶんがいくら成長して成果をあげても、しあわせを感じなかった。
遊んでも満たされない。誰とすごしても満たされない謎。

その原因がわからなかったので、
どうありたいか、どうしたいのかがわからなかった。

できることは山ほどある。
でも、どうありたいか、どうしたいかがまったくわからなかった。

「1億わたされて、仕事やめて好きなことをしても良いよ」

と言われても、なにもできない。したいことがない。
そう感じていた。

だが、グループワークでえんえんと話をしていたときにわかった。
いや、正確にいうと、気づいた。

【年下の人たちに自分のワダチを踏んでほしくない。】

その想いが強い。かなり。

自分が本当にしんどかったと思うできごと。
もっとほかに選択肢があれば変わったであろうこと。
知識や人脈がなかったからできなかったこと。
そのせいで助けられなかったこと。

その同じ経験をしてほしくない。
心におおきく傷を負う必要なんてない。

【だから、自分がその選択肢を与えてあげたい】

そう思って動くことに、喜びを感じていた。
ということに気づいたんだ。

知らず知らずのうちにしていたこと。
からだが勝手にそうしていたこと。
思い返せば、寝食をわすれても、ずっとしてきていた。

今なら言えよう。

【わたしは若者にかんがえる機会を与えることに幸せを感じる】

選択肢をあたえた上で、どれを選ぶかはそのひと次第だ。
そこはなにも言うまい。

やり方は自分で考えれば良い。
どうしてもわからなければ相談にのろう。
偽善と思う人もいるかもしれない。
だが自分は、そうしたいとおもったんだ。

 

人との会話の仕方も変わった

わたしはよく相談されることがおおい。人におしえることもおおい。
だがどこか、違和感をおぼえていた。

「これが正しい答え方なのか?」

ずっとそう感じていた。

今回のグループワークでは、
話しているひとの言葉をさえぎってはいけない。
話が脱線してはいけない。
個人的なかんがえで否定をしてはいけない。
あくまでその人がどうありたいのかを探るための質問をする。

これを徹底していた。
つまり、質問側は自分の意見はほとんど言ってはいけない。

わたしは今まで自分の経験から「こうしたらもっと良くなるよ」という
アドバイスをよくしてきた。

だがそれはあくまで自分のかんがえであって、
その人がそう感じたものではない。

そこに違和感をずっと感じていたのだ。
あくまでわたしの役割はただどうありたいかを探ること。
それだけで良かったんだ。

これは大きな収穫だった。
今後の人生をおおきく左右するレベルの気づきであった。

 

気づけば寝ずに話しつづけた

IMG_3598

結局、1人2時間ほど話した。
終わったのは朝の6時前。
かるく横になったけど、朝日がまぶしくて寝れなかった。

あきらめて起きて、その日もずっとグループワークが続いた。

やっと終わり、さいごに、ひとりひとり
どうありたいのか、どうしたいのか、どうやっていくのか、
を話しはじめた。

脳みそフル回転でずっと人の話を真剣にきく。
それに対して真剣にこたえる。
それを27時間つづけた。

みんな寝不足でクマがふかく、髪もボサボサのボロ雑巾みたいになりながら
情熱的に、はたまた冷静に話をしていった。
なかには感極まって泣きながら話す人もいた。

そこで出会えた人たちとは、今後ふかいつながりをもてるとおもう。
応援したい人たちがものすごく増えた。

ほんとうに疲れたけれど、ほんとうに参加してよかった。
そう思えた2日間だった。

 

終わりに

どうあるべきか迷っているひと
どうしたいか迷っているひと
何をしたいかわからないひと
したいけど踏み出せないひと
手助けをしたいひと

大小はあるけれど、みんなどこかにコンプレックスやトラウマ、
つまり”人とはすこし違う経験をしてなにか異変がおきた”ことがあるように思えた。

そういう人たちが、”キワモノ”としてここに集まったのだろう。
普通に生きようとしたけれど、生きられなかった人たち。

普通ってなんなのだろう?

そう考えるには十分すぎる時間。
でもまだ足りない。

それは今後じぶんで見つけていくものなのかもしれない。
またどこかでお会いしましょう。
愛すべきキワモノ達。


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